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こんにちは、
大阪校で国語を教えている新井です。


授業をしていて何だか無性にガッカリする、というか、「何かもったいないなぁ」と感じるシーンがあります。

何かというと、授業を受けている生徒の様子を見ていて思うのです――「何でこの子ノート取らんのやろか」、と。

私もずいぶん長くタイシンで教えていますが、十数年前の子たちは授業中でもそれはまあ元気ではじけていたものです(これはずいぶん遠回しに、丁寧に表現していますが…)。

かたやこの頃の子はお行儀がよくて、椅子にちょこんと座って一生懸命私の顔を見て授業を聞いています。

でも、「あぁ、なんか違う。それやとアカンのよ」――手が止まっているのです。

「話している人の顔をよく見て話を聞きなさい」というしつけは大事です。

けれども、こと教室という空間にあっては決してそれは正解ではない。

私の顔など見なくともよいから(見てもおもんないやろ)、ノートの字と白板の字とを交互に見てほしい…

だから私は授業中に「こまめにノートを取りなさい。それが試験当日に大学に行く電車の中でお守りになるから」と生徒に話します。

私はオンラインの授業でも白板に板書をします。

白板に字を書く方が「次に何が書かれるのか」というちょっとした緊張感を持つことができてよいらしいのです、授業を受ける側にとっては。

もちろん板書されたことだけが大事なわけではなく、口頭で話されたことの中にも大事なことは存在するわけです。

「書き取ること」は、確かに面倒です。

けれども、手を動かして面倒なことをしないと、どうやら記憶というものは残らないとも言われています。

勉強の基本は「書くこと」です。

文字に限らず、自分なりに図像にしたほうがわかりよいのであれば、私はそれでも良いと思うのです。

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私の板書にも図はよく出てきます。

ともかく、紙と鉛筆に普段から親しんでおくことこそ大事なのです。

考えても見てください、試験本番にみなさんが手にするものは何ですか?――そう、紙と鉛筆です。

普段から道具を使っていないのに、本番でうまく使えるわけがありませんね。

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